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私的死生観について

ウィトゲンシュタインが好きなので引っ張られてます(笑)

「仮に世界が5分前に作られた」と仮定しよう。生物学や物理学ではありえないことしれんが・・・
そのまえにあった(と記憶していることも)世界の創生と共にされたとしよう。そうするとこの「仮に世界が5分前に作られた」という仮定を否定できなくなってしまう。
しかし、困ったことに肯定もできないのである。生物学や進化論で語られている通り、世界が(人類史は)発展してきた可能性も考えられるからである。
これを「世界5分前仮説」という。
「この世界が5分前にできた」と仮定して、この仮定に肯定も否定もできないというものである。これは5分前では無くても1分前でも1秒前でも0.1秒前でも成り立つことなのである。

また、未来というのも私たちにはわからないのである。1秒先に"突然"世界が終わるかもしれないのである。0.1秒先かもしれないが・・・
その中でも世界は続いていくという"仮定"をたてて生きているのである。

要するに何が言いたいかと申せば、「確実に存在するものは現在の一瞬しかない」ということ。正確に世界を見るとは、「そういうこと」でしかありえない。
哲学者ウィトゲンシュタインの論理哲学論考ではこう書かれている。『六・四三二一 死は人生のできごとではない。ひとは死を体験しない。永遠を時間的な永続としてではなく、無時間性と解するならば、現在に生きる者は永遠に生きるのである。』
そう、私たちは永遠の相のもとに生きてるのである。

タイトルには死生観と書いたが"正確"に言えば死など訪れないのである。私たちは、この一瞬を観測することしかできないのである。
それを理解した上で私には好きな"仮説"がある。 渡辺恒夫氏は「偏在転生」という概念を唱えている。簡単に言ってしまえば、「すべて存在している実体が私」という考えである。過去未来の時系列、動物の種類関係なく魂の輪廻転生が行われてるという仮説である。独在性とは対極の考え方である。
私はこれ以上に細分化しても良いと考えている。何も"一生"をループしなくてもいいではないかという事である。「点在転生」とでも題しておこうか。点在する"一瞬"が無限のように同時にループする。ウィトゲンシュタインが提唱したように永遠の相があり、その永遠が輪廻転生のように行われてるという説を考えたい。

これが私の死生観である。


作成日:2023/9/1
最終編集日:2023/9/14