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死んだらどうなるかって?なんで生きてるって?そんなのわからない?
それでも私は小学生の時からずっと考えてた……
生きている意味とは?
そもそも生きているとは?
私とあなたは何が違うのか?
この世界は(或いはこの見ている視点は)なんなのか?
当時はちっさい頭で考えてもなんもわかんなかった……
中学生になって不登校の期間もずっとそればっかりを考えていた……
高校入ってエロゲをやるようになった。哲学に興味を持ったのはそこからだった。
私の頭で考えていたことを、偉大な先人の哲学者たちは議論していた。
バカな私の頭ではなにもまとまらなかったが、天才な哲学者たちは思考を明確に言語化をし天才たちは互いに議論してるのである。
わたしも天才だったらなぁと思う日々である……
プログラムを書くとき、
こうして文章を書くとき、
なにかを暗記をするとき、
単純作業をするとき、
計算をするとき、
いつも感じる……
わたしの才能のなさを……
閑話休題
そんな天才な哲学者たちの書いた本を読んで、わたしのバカな頭で正確に理解できているかは疑問が残るところではあるが、思考の土台となっていった。
わたしが文章にしようとしたところで伝わるかはわからないが、生きている間になにか書きたかったのである。
稚拙な文ではあるが、読んでいただければありがたい。
わたしの脳で考えた内容が(わたしの頭の中で起こったシナプスの発火による出力が)、後世の誰かの脳内で再構成されることは、私にとって非常にうれしいことである。
わたしの肉体は生きずとも、思考は残り、そして育つのだ。
わたしたちには、観測できるところと、観測できないところがある。
たとえば、世界五分前仮説。
世界が5分前にできたという仮説にさえ、我々は否定も肯定もできないのだ。
我々が観測できるのは、現在という一点のみであり、過去も未来も存在するか定かではないのだ。
過去の記憶すら現在における(どこかのシナプスの発火による)脳内の記憶容量に保存されているにすぎないのだ。
また、現在においてもこの視界や聴覚などによって観測できる範囲外の世界は認識すらできない……
時間という概念も現に進んでいるような錯覚を見ている現象を指してるに過ぎない。実のところ進んでるのかわからないのに……
わたしにとって、この知見は大きかった。
我々が考えてもわからない領域、認識できて考えることができる領域があるのだ。
哲学はいかにわからない領域を人間の言葉で議論することだと思っていたが、結局分からない領域はわからないのだ。
この考えに至り、わたしはやっと世界が捉えられた気がした。
中学生のときに考えていた、なぜ生きているのか?なぜこの世界がみえるのか?の答えは「わからない」で合っていたのだ。
そう考えると少し楽になった気がした。
重要なのは今この瞬間のことであり、考えるべきは現在なのである。
私の生まれる前の世界、わたしが死んだあとの世界、わたしは果たして生きているのか?そんなことを真剣に考えるのはそもそもナンセンスなのである。
そう、まさに……
七 語りえぬものについては、沈黙せねばならない。ウィトゲンシュタイン 著,野矢茂樹 訳,『論理哲学論考』岩波文庫版
それからは、今どうしたいかをしっかり考え、悔いなんてない今に生きることにした。
我々はこの世界を傍観することしかできないのだから