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「恥の多い生涯を送って来ました。」という書き出しで始まることで有名な人間失格。
太宰の自殺前に書き上げた作品であり、わたしはめっちゃ大好きです。
落ち込んだ時に読み返すと凄くしみるんです。
わたしの幼少期のさま、人付き合いの下手さ、そして狂っていくさま、すべてわたしを見ているかのような感じがして、この本がわたしをなぐさめてくれるのです。
あの文豪でさえ、こういった苦しみを覚えながら生きてきたと思うと、わたしもまだ生きてることを許されたように感じるのです。
たとえば、この一節
そこで考え出したのは、道化でした。わたしも子供の時は如何に他人に気に入られるかを考えていた。
それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。自分は、人間を極度に恐れていながら、それでいて、人間を、どうしても思い切れなかったらしいのです。そうして自分は、この道化の一線でわずかに人間につながる事が出来たのでした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。
しかし、太宰と私が決定的に違う点は、過度な人見知りなことです。
人の輪に入って行けなかった……(今もその面影があるような気はするが……)
おそらく、人からどう見られるかが気になりすぎて、他人と話すことが恐怖の対象だったのであろう。
クラスの前で道化を演じきることは出来なかった。
ただただ、人間が怖かった……
当然、いじめられていた……
不登校になっていった……
そんな、小学生、中学生だった。
高校生になってからは自分の世界観みたいなものができてきて、他人と一線引けるようになってくる。がしかし、やはり人見知りではあった。
大学生になると世界観がより強固になり、ある程度は人と話せるようになった。同じ技術が好きな仲間たちと一緒にいる時間が多かったり、苦労して作った作品に対して一種の自信みたいなものがあったから話せるようになったのかもしれない。
それと、割り切るということができるようになった。本当はしゃべりたくないけど付き合わないといけない人との付き合いが、苦手ではあるものの頑張ればできるようになった。
社会人の時はストレスをためすぎた。仕事上の付き合いだと割り切るということをしすぎた。割り切れるようになったせいで……
そして、社会人から脱落し今に至る。
希死念慮を抱き何回か試みる……
精神病棟にお世話になることになる……
今はうつ病はだいぶマシになったが、発症してしまったら完治はしない……
あゝ、どんどん狂っていく……
すべては、あの頃の人に好かれたいという強い気持ちから始まって……
神に問う。無抵抗は罪なりや?